徒然なる絵日記。
絵日記。
夏の映画。
こんばんは、珍しく前回から間を置かずに更新です(ФωФ )
夏は活発になる、という空木のセオリーは今年も例外なさそうです(うふ☆)
夏が!!!大好き!!!です!!!!!!!
今年は、初夏に奈良の矢田寺、滝谷花しょうぶ園へ紫陽花と菖蒲を撮りに。
7月は京都宇治の三室戸寺、それから大阪の長居公園へ蓮を撮りに行きました。
更に、8月頭には相棒と城崎温泉へ一泊してきました。
向日葵、城之崎の町、玄武洞…懐かしい昭和の香りにどっぷり浸かって来ました。
全部写真blogにアップしています~。
そして、先日、「風立ちぬ」という映画も観て来ました。
レイトショーに駆け込みましたふははは。
本当に素敵な映画でしたよ。
「個人的な感情」を強く押し出さない描かれ方だったせいか、色々考えさせられる内容でした。
感想は下に畳んでおきます!あ、ネタバレしまくってますので、要注意!
結構色々ずけずけ言ってますので、そういうものがあまり見たくないヒトは回れ右~。
***「風立ちぬ」の感想***(ネタバレ注意!!)
もうね、この映画、ほんっとに宮崎監督、大好きなものとことん詰め込んだなーって思いました(笑)元々ジブリの”空”は大好きなのですけれど、今回は”飛行機”に軸を合わせていたこともあり、一際それが際立っていたような気がします。とにもかく美しい世界でした。空や水面、風、揺れる木々の表現、今回も躍動感たっぷり、疾走感ばっちり!
一番はやっぱり飛行機ですね。これ本当に宮崎監督好きなんだなぁって思いました。
しっかり輪郭を取ってある飛行機のライン、骨、デザイン。それらが象られて、スクリーンの中に降り立った飛行機はこれまた美しい空や緑、海に放たれる。
そういうビジョンが、総じて浪漫チックに仕上がっていて、さほど飛行機を知らないにも関わらず高揚しましたねー。ほんと綺麗で台詞も言葉も誰かの表情もないのに、飛行機の飛行シーンだけで泣きたくなったり。
とりあえず語彙が来いよ!と叫びたくなるくらい綺麗な世界でしたねー。
途中ちょっと「パプリカ」のような印象を彷彿させる部分もあって、不思議な世界に投げ出されたような気分になりました。
さてさて。
とりあえずはゼロ機とモデルになった航空技師さんについては調べてから映画に臨んだわけなのですが。ある意味、そのくらいの知識で見たのはベストだったかもしれません。ていうかゼロ機って今回の映画が切っ掛けで具体的に知ったんだけどすげぇね…とにかく軽量化させたことにより防御力が極端に低い代わりに、攻撃力と機動力が高い最高質の戦闘機ですってね。ゼロ戦で有名になった戦闘機、というくらいしか知らなくてですね、この内訳を知って(へぇ~!)と思ったのと同時に、この映画を観たおかげで、当時戦って いたのはパイロットだけでなく、技師たちもだったんだなぁ、と当たり前のことなのにそういうことが具体的に迫ってきて、来るものがありました。
そして、ストーリーですが。
主人公。個人的に彼の生き様は色々考えさせられました。とにかくストイック、ですね。本当に飛行機が大好きで、大好きで、美しい飛行機が作りたいと夢見る少年。
そして、この映画に出てくる”夢見る少年”は二郎だけではなく、飛行機に携わる人たちみんなそうでしたね。キラキラ眩しかった。大人になっても、そういう好きなものを、浪漫を、夢を、同じくするものが集まれば、やっぱりみんな”少年”に帰っていくんだよなぁ、と。
随所に主人公の夢が挿入されるんですが、映像の美しさのみならず、紡がれる言葉も力強くて希望に溢れてましたねー。全部通して、二郎とカプローニさんとの対話がやっぱり一番印象に残っています。特に、この言葉。
「創造的人生の持ち時間は10年だ」
この言葉には思わず立ち止まりましたね。心の中で。「あれ、私の創造はどこまで来てるの」って。ラストでこの「10年」に絡んだ対話があって、これも印象に残っています。私は最後にどんな答えを返すんだろね。
菜穂子さん。うん、可愛らしいなぁとも思ったし、一途だなぁとも思ったし、芯がしっかりしていて、それゆえに幸せになった女性だ、とも。すごいね、あの体で、あの境遇で、最期まで主人公を支えてあげてましたから。
素敵な女性だなぁと素直に思います。
そして、二郎との恋も素敵だなぁと(+´ω`)ほっこり…そうそう、結婚シーンは凄く幻想的で綺麗でした。背景が背景だけに、哀しさが隣り合わせだったからこそ、とても美しかったなぁと。
あとはねえ、外国人との対話も随所に入ってるんですけれど、なんとなくだけどね、やっぱり同じ人間なんだよなぁ、って思いました。
うまく言えないけれども。
戦争って、国と国のやり取りですよね。でも、人と人のやり取りかどうかっていうとそれはまた違う次元だったんだろうな、ってそんな風に感じました。
というのも、中国戦争に行ってた私の祖父からも、現地では向こうの子供にお菓子をあげて中国語を教えてもらっていた、という話を聞いていたことも背景にあってなのですけれど。その時に、祖父は「向こうの子供もお菓子好きでねぇ」と言ってたのが印象に残ってるんですよ。多分偵察の為に言葉を教えてもらっていたんでしょうけども、当時のやりとりは本当にそれだけだったのかしら、って。なにかしら人間らしい情もあったのかなぁと。そもそもお菓子で釣って何かを教えてもらう、なんて随分人間味がある話だと思ったんですよね。
映画の中でもね、いつ敵になるかわからない国の人々が集まって、同じものを見て、同じ意味を知って、同じように笑うシーンがあります。二郎と菜穂子が仲睦まじく、紙飛行機で戯れているシーンを見て、微笑むドイツ人。上流階級の交流パーティで集まった様々な国の人間が大合唱するシーン。あれ見ると、”戦争”の背景が嘘のようで。でも、案外当時はこんなものだったのかもしれない、とも思ったのでした。
もっと祖父から当時の色んな話聞けばよかったなぁ…。
そして、この映画で抱いた違和感。
①やっぱり音、ですかね(^^;)
私、「人の声」と「物音」で聴こえ方が違うせいか、今回の映画では物音や効果音が聴こえづらかったです。
後から知ったんですが、あの映画の効果音って人の声で録ってたんですね…!?
ああ、通りで、と思いました。うまく言えないんですが、物音の方が鋭く、頭蓋骨にというか、「響く」んですよ。
だから、「聴こえた!」って意識する間もなく「あ、来た!」な感覚なんです。
でも人の声は「聴こう」としないと聴こえないんです。
頭蓋骨にもよっぽどでないと響いてこない。ヘッドホンで直接当てないかぎり。
だから、こう、なんていうか、違和感はありました。
聴こえる人にとってはまた受ける印象は違うのかなぁ。
観た人にどういう感想を抱いたか、このへん聞いてみたいです。
あと庵野監督の声については普通にスルーしてました(マテ)いや、うん…低いなぁ、というくらいです、かね…www
②根源的なところなんですが、「生きねば」というテーマについて。
このテーマにも何となくうーん?ってなりました。
いえ、確かに当時の時代ならではの「生きねば」という力強さを滲ませる描写や場面はありました。その環境に身を置き、その中で対応して生きていくのだという、各々の「常識」、「観念」、「精神」。強く「私はこう生きているのだ!」とアピールはありません。ただこういう環境だからこそ、こういう風に生きるのだという「時代の人々」のあり方が訥々と描かれていたと、私は感じました。
ただなんていうか、「生きねば」っていうより、「創らねば」のほうが鮮烈に印象に残った気がします。
個人的解釈ではありますが、主人公たちが飛行機作りにウエイトを置いているのは、ニュアンス的に「浪漫・創造」=「生き甲斐」=「生きる」という意味での”「生きねば」という信念”に近いのかなぁと感じました。
ただ、明確に「生きねば」をテーマに押し出すと、取り上げてる時代や背景が戦争なだけに、どうにも額面通りに切実な「生きる」へシフトされてしまうので、そのへんで違和感が出るというか。
主人公の「創造的人生」に軸を合わせているのだから、ダイレクトに「創らねば」でもよかったんじゃないかなぁと…。
でもそうなると、「風立ちぬ、いざ生きめやも」の歌とちょっとズレてしまうかなぁ…。
でもって、個人的に「創造的人生」に軸を合わせて観てたものだからね、
あのラストシーンでの菜穂子の台詞はちょっと「えっ」ってなりました。
その…たぶん一番感動的なシーンだと思うんです…実際あそこでちょっと涙ぐみましたし!
でも、観終わって、ぐるぐる考えて、ふと振り返るとね、「あれぇ」ってなったんですよね…。
なんていうか…ずっと二郎は自分の夢・浪漫を追いかけて幾多の葛藤を抱えつつも、歪みなく突っ走ってきたわけでしょう。
そしてそんな二郎を理解して見守り、支えた菜穂子。菜穂子が消えて、なお二郎が尽くした夢は「ズタズタ」に折れた。
私としては、あのラストシーンに菜穂子は出てこなくてもよかったんじゃないかと思いました。
菜穂子があのまま消えた形で、二郎の「夢の昇華」の一部として締めてくれたほうがスッキリしたかなぁ…と…。あの「生きて」という台詞が出たことで、なんだかまるでまだ夢を追いかけることを「赦してもらえた」というか、そういう言葉を二郎が欲しがってたかのような感じになっちゃったというか…二郎に対して今までそういう印象はなかっただけに「あれぇ?」って思ったのね…。
後はやっぱり菜穂子と二郎は言葉がなくとも「理解り」合ってるという印象があったというのもあります。プロポーズでも即決、離れで暮らす時のことも即決。そのどちらも「時間が限られているから出来るだけ共に生きよう」という思いが下敷きにあってのことで、そういう意味で二人はその時間を最大限に大事にし合っていたように思います。
山から菜穂子が二郎に会いに行った時点で、もう菜穂子が長くないことはふたりとも悟っていたんだろうなあ、と駅で抱きしめあうふたりからひしひしと伝わってきてちょっと涙ぐみました。
だから、たとえ菜穂子が消えたとしても愛し合った時間は二郎の中で揺ぎ無く根付いていて、かつ自分が作る飛行機が人を殺す道具に使われているということは百も承知の上で、更に美しい飛行機を創造するという夢を追い続けられたと。
多くの「矛盾」の中で、二郎は迷いはあっても選ぶべきものは選んでいたように見えてました。
なので、ラストで「生きて」という言葉を懇願するように描かれたことが少し不思議だった。
言い方は悪いけれど、「媚びられた」という気もしてしまったというのは…あります。
いやでも、このラストシーンについては他にも色々解釈は出てて、私の中で答え出てないんだよね…。
今んとこ上記が大きく占めてるという話なんですけどね;
でも二郎だって人間だし、菜穂子を喪って不安にもなるだろうし、夢と現実のギャップに折れて迷いはするだろうし、夢が潰えて死にたくもなったろうし…。あのラストシーンでの次郎の「(創造的人生の10年)最後のほうはもうズタズタでした」という言葉はまさに生きる気力を失っている現われだろうしなぁ…。
ただ、私的には、菜穂子が出てこずとも、あのままゼロ機の残骸と、それでも続く”未来”を予感させるような美しい青空と草原、そしてカプローニさんの「一緒にワインでも飲もう」という言葉だけで、二郎は「死なない」と、夢は再び続いていくと、そう思えたかなぁ、と思いました、の…。
いえあくまでも私の解釈ですけども!;;;
うーんむずかしい。
なんか色々書いちゃったけど、美しいだけじゃなく、とても人生的意味でも深い、素敵な映画でしたよ…!!!
また繰り返し観たい映画です。
もうね、この映画、ほんっとに宮崎監督、大好きなものとことん詰め込んだなーって思いました(笑)元々ジブリの”空”は大好きなのですけれど、今回は”飛行機”に軸を合わせていたこともあり、一際それが際立っていたような気がします。とにもかく美しい世界でした。空や水面、風、揺れる木々の表現、今回も躍動感たっぷり、疾走感ばっちり!
一番はやっぱり飛行機ですね。これ本当に宮崎監督好きなんだなぁって思いました。
しっかり輪郭を取ってある飛行機のライン、骨、デザイン。それらが象られて、スクリーンの中に降り立った飛行機はこれまた美しい空や緑、海に放たれる。
そういうビジョンが、総じて浪漫チックに仕上がっていて、さほど飛行機を知らないにも関わらず高揚しましたねー。ほんと綺麗で台詞も言葉も誰かの表情もないのに、飛行機の飛行シーンだけで泣きたくなったり。
とりあえず語彙が来いよ!と叫びたくなるくらい綺麗な世界でしたねー。
途中ちょっと「パプリカ」のような印象を彷彿させる部分もあって、不思議な世界に投げ出されたような気分になりました。
さてさて。
とりあえずはゼロ機とモデルになった航空技師さんについては調べてから映画に臨んだわけなのですが。ある意味、そのくらいの知識で見たのはベストだったかもしれません。ていうかゼロ機って今回の映画が切っ掛けで具体的に知ったんだけどすげぇね…とにかく軽量化させたことにより防御力が極端に低い代わりに、攻撃力と機動力が高い最高質の戦闘機ですってね。ゼロ戦で有名になった戦闘機、というくらいしか知らなくてですね、この内訳を知って(へぇ~!)と思ったのと同時に、この映画を観たおかげで、当時戦って いたのはパイロットだけでなく、技師たちもだったんだなぁ、と当たり前のことなのにそういうことが具体的に迫ってきて、来るものがありました。
そして、ストーリーですが。
主人公。個人的に彼の生き様は色々考えさせられました。とにかくストイック、ですね。本当に飛行機が大好きで、大好きで、美しい飛行機が作りたいと夢見る少年。
そして、この映画に出てくる”夢見る少年”は二郎だけではなく、飛行機に携わる人たちみんなそうでしたね。キラキラ眩しかった。大人になっても、そういう好きなものを、浪漫を、夢を、同じくするものが集まれば、やっぱりみんな”少年”に帰っていくんだよなぁ、と。
随所に主人公の夢が挿入されるんですが、映像の美しさのみならず、紡がれる言葉も力強くて希望に溢れてましたねー。全部通して、二郎とカプローニさんとの対話がやっぱり一番印象に残っています。特に、この言葉。
「創造的人生の持ち時間は10年だ」
この言葉には思わず立ち止まりましたね。心の中で。「あれ、私の創造はどこまで来てるの」って。ラストでこの「10年」に絡んだ対話があって、これも印象に残っています。私は最後にどんな答えを返すんだろね。
菜穂子さん。うん、可愛らしいなぁとも思ったし、一途だなぁとも思ったし、芯がしっかりしていて、それゆえに幸せになった女性だ、とも。すごいね、あの体で、あの境遇で、最期まで主人公を支えてあげてましたから。
素敵な女性だなぁと素直に思います。
そして、二郎との恋も素敵だなぁと(+´ω`)ほっこり…そうそう、結婚シーンは凄く幻想的で綺麗でした。背景が背景だけに、哀しさが隣り合わせだったからこそ、とても美しかったなぁと。
あとはねえ、外国人との対話も随所に入ってるんですけれど、なんとなくだけどね、やっぱり同じ人間なんだよなぁ、って思いました。
うまく言えないけれども。
戦争って、国と国のやり取りですよね。でも、人と人のやり取りかどうかっていうとそれはまた違う次元だったんだろうな、ってそんな風に感じました。
というのも、中国戦争に行ってた私の祖父からも、現地では向こうの子供にお菓子をあげて中国語を教えてもらっていた、という話を聞いていたことも背景にあってなのですけれど。その時に、祖父は「向こうの子供もお菓子好きでねぇ」と言ってたのが印象に残ってるんですよ。多分偵察の為に言葉を教えてもらっていたんでしょうけども、当時のやりとりは本当にそれだけだったのかしら、って。なにかしら人間らしい情もあったのかなぁと。そもそもお菓子で釣って何かを教えてもらう、なんて随分人間味がある話だと思ったんですよね。
映画の中でもね、いつ敵になるかわからない国の人々が集まって、同じものを見て、同じ意味を知って、同じように笑うシーンがあります。二郎と菜穂子が仲睦まじく、紙飛行機で戯れているシーンを見て、微笑むドイツ人。上流階級の交流パーティで集まった様々な国の人間が大合唱するシーン。あれ見ると、”戦争”の背景が嘘のようで。でも、案外当時はこんなものだったのかもしれない、とも思ったのでした。
もっと祖父から当時の色んな話聞けばよかったなぁ…。
そして、この映画で抱いた違和感。
①やっぱり音、ですかね(^^;)
私、「人の声」と「物音」で聴こえ方が違うせいか、今回の映画では物音や効果音が聴こえづらかったです。
後から知ったんですが、あの映画の効果音って人の声で録ってたんですね…!?
ああ、通りで、と思いました。うまく言えないんですが、物音の方が鋭く、頭蓋骨にというか、「響く」んですよ。
だから、「聴こえた!」って意識する間もなく「あ、来た!」な感覚なんです。
でも人の声は「聴こう」としないと聴こえないんです。
頭蓋骨にもよっぽどでないと響いてこない。ヘッドホンで直接当てないかぎり。
だから、こう、なんていうか、違和感はありました。
聴こえる人にとってはまた受ける印象は違うのかなぁ。
観た人にどういう感想を抱いたか、このへん聞いてみたいです。
あと庵野監督の声については普通にスルーしてました(マテ)いや、うん…低いなぁ、というくらいです、かね…www
②根源的なところなんですが、「生きねば」というテーマについて。
このテーマにも何となくうーん?ってなりました。
いえ、確かに当時の時代ならではの「生きねば」という力強さを滲ませる描写や場面はありました。その環境に身を置き、その中で対応して生きていくのだという、各々の「常識」、「観念」、「精神」。強く「私はこう生きているのだ!」とアピールはありません。ただこういう環境だからこそ、こういう風に生きるのだという「時代の人々」のあり方が訥々と描かれていたと、私は感じました。
ただなんていうか、「生きねば」っていうより、「創らねば」のほうが鮮烈に印象に残った気がします。
個人的解釈ではありますが、主人公たちが飛行機作りにウエイトを置いているのは、ニュアンス的に「浪漫・創造」=「生き甲斐」=「生きる」という意味での”「生きねば」という信念”に近いのかなぁと感じました。
ただ、明確に「生きねば」をテーマに押し出すと、取り上げてる時代や背景が戦争なだけに、どうにも額面通りに切実な「生きる」へシフトされてしまうので、そのへんで違和感が出るというか。
主人公の「創造的人生」に軸を合わせているのだから、ダイレクトに「創らねば」でもよかったんじゃないかなぁと…。
でもそうなると、「風立ちぬ、いざ生きめやも」の歌とちょっとズレてしまうかなぁ…。
でもって、個人的に「創造的人生」に軸を合わせて観てたものだからね、
あのラストシーンでの菜穂子の台詞はちょっと「えっ」ってなりました。
その…たぶん一番感動的なシーンだと思うんです…実際あそこでちょっと涙ぐみましたし!
でも、観終わって、ぐるぐる考えて、ふと振り返るとね、「あれぇ」ってなったんですよね…。
なんていうか…ずっと二郎は自分の夢・浪漫を追いかけて幾多の葛藤を抱えつつも、歪みなく突っ走ってきたわけでしょう。
そしてそんな二郎を理解して見守り、支えた菜穂子。菜穂子が消えて、なお二郎が尽くした夢は「ズタズタ」に折れた。
私としては、あのラストシーンに菜穂子は出てこなくてもよかったんじゃないかと思いました。
菜穂子があのまま消えた形で、二郎の「夢の昇華」の一部として締めてくれたほうがスッキリしたかなぁ…と…。あの「生きて」という台詞が出たことで、なんだかまるでまだ夢を追いかけることを「赦してもらえた」というか、そういう言葉を二郎が欲しがってたかのような感じになっちゃったというか…二郎に対して今までそういう印象はなかっただけに「あれぇ?」って思ったのね…。
後はやっぱり菜穂子と二郎は言葉がなくとも「理解り」合ってるという印象があったというのもあります。プロポーズでも即決、離れで暮らす時のことも即決。そのどちらも「時間が限られているから出来るだけ共に生きよう」という思いが下敷きにあってのことで、そういう意味で二人はその時間を最大限に大事にし合っていたように思います。
山から菜穂子が二郎に会いに行った時点で、もう菜穂子が長くないことはふたりとも悟っていたんだろうなあ、と駅で抱きしめあうふたりからひしひしと伝わってきてちょっと涙ぐみました。
だから、たとえ菜穂子が消えたとしても愛し合った時間は二郎の中で揺ぎ無く根付いていて、かつ自分が作る飛行機が人を殺す道具に使われているということは百も承知の上で、更に美しい飛行機を創造するという夢を追い続けられたと。
多くの「矛盾」の中で、二郎は迷いはあっても選ぶべきものは選んでいたように見えてました。
なので、ラストで「生きて」という言葉を懇願するように描かれたことが少し不思議だった。
言い方は悪いけれど、「媚びられた」という気もしてしまったというのは…あります。
いやでも、このラストシーンについては他にも色々解釈は出てて、私の中で答え出てないんだよね…。
今んとこ上記が大きく占めてるという話なんですけどね;
でも二郎だって人間だし、菜穂子を喪って不安にもなるだろうし、夢と現実のギャップに折れて迷いはするだろうし、夢が潰えて死にたくもなったろうし…。あのラストシーンでの次郎の「(創造的人生の10年)最後のほうはもうズタズタでした」という言葉はまさに生きる気力を失っている現われだろうしなぁ…。
ただ、私的には、菜穂子が出てこずとも、あのままゼロ機の残骸と、それでも続く”未来”を予感させるような美しい青空と草原、そしてカプローニさんの「一緒にワインでも飲もう」という言葉だけで、二郎は「死なない」と、夢は再び続いていくと、そう思えたかなぁ、と思いました、の…。
いえあくまでも私の解釈ですけども!;;;
うーんむずかしい。
なんか色々書いちゃったけど、美しいだけじゃなく、とても人生的意味でも深い、素敵な映画でしたよ…!!!
また繰り返し観たい映画です。
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非公開
職業:
表現者
趣味:
読書・球技スポーツ・お絵描き・寝ること・食べること(基本、本能的に生きております)
自己紹介:
気ままに絵描きスタイル。
気ままに言葉つぶやきスタイル。
気ままに本能で生きるスタイル。
それが、しあわせ。
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